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当ブログを見ていただきありがとうございます。ブログ管理者のひかるです。私は40代でWEB制作に関するフリーランス業をしています。
今あなたは奥さんとの離婚を回避したい思いから、当ブログを見ているかと思います。愛する女性の心を取り戻すべく離婚回避の情報を収集されていることは、本当に正しい行いです。
自分の考えだけで離婚回避を試みても、間違った対処をしてしまい、妻の離婚を確定させる男性は本当に多くいます。
冷静に情報収集されているあなたは、奥さんとの離婚を回避できる可能性は十分あるといえるでしょう。
私もあなたと同じく妻から離婚を強く求められましたが、諦めずに回避を求め続けた結果、今も夫婦を続けられています。
自己紹介のページなので、私の離婚危機を回避できた経緯をお伝えします。
幸せな家庭を築いていると思っていた
私より年が3歳下の妻とは13年前に結婚し、ふたりの間には小学4年生の息子がいます。妻は正社員にて事務職をしています。
妻と交際中も結婚してからも会話はずっとあるし、仕事中もマメにLINEなどで連絡をとり合っていたのです。
スキンシップも常にあったし、家族での外食も月に4回ほど行っていたし、年に数回は家族旅行にも出かけていました。
小さなケンカはよくありましたが、次の日に持ち越すことはなく、夫婦が険悪な時期はまったくなかったです。私は平凡ながら幸せな家庭を築いていると思っていました。
突然、妻から離婚を求められる
ある日、いつも通りに晩御飯を食べ終えて、私が食器などを洗っている最中に、妻から「お願い。離婚して」と一言。妻は悲痛な表情で、私へ対し既に署名された離婚届を突きつけてきました。
「え…なんで?」妻から突然の離婚の申出に、私の頭はパニック状態でした。妻は見たことがない悲しそうな表情で、私に対する次のような不満をぶつけてきました。
- 妻が提案したことの多くを断れたこと
- 妻から指摘された内容を流してきたこと
- 妻が実家に泊りたいと言ったときに渋られたこと
- 妻に関心がない態度を取られ続けたこと
- 予定を伝えるようにいつも求めてきたこと
- 無神経な言葉を言われたこと
- 自分の時間を優先していること
- 息子と遊ぶ時間を作れていないこと
- 妻が外に出るときいつもご飯を用意させていたこと
- 結婚記念日なのにいつも何もなかったこと
- 夫婦ふたりで出かける時間を作れていないこと
- 妻に対する感謝の言葉がないこと
色々な不満を私にぶつけてきた後、「結局あなたは自分が一番かわいいのよ」と言われたのです。妻は「私はあなたに改めてほしいとずっと伝えてきたけど、変わろうとしなかった。」
確かに、これまでに妻から何度か言われたことがありました。なかには自分ではそのつもりがなかったけど、妻にはそう捉えられている内容もありました。
私自身は妻とコミュニケーションをしっかり取れていたつもりが、まったくだったことを痛感しました。
また妻のやっていることが当たり前になってしまい、感謝の言葉を掛けなくなった横柄な自分に情けなさを感じました。
妻の変化にまったく気づけなかった
妻は私に対して、「3年ほど前から結婚指輪を付けなくなったの、なぜかわかる?」と聞いてきました。
私は妻から仕事で指輪が邪魔になることが多いし、付けていたら痛いからと聞いていたので、それを疑いなく信じていました。
実際はその頃から私のことが冷めつつあり、指輪をつける気分になれなかったため、仕事用のカバンに入れたままだったとのこと。
3年も前から、私が妻を苦しめてきたことを知って強いショックでした。同時にのんきに妻のウソの理由を信じ、彼女の変化を何も感じなかった鈍感な自分に腹が立ちました。
私は妻を大事にできていなかったことを謝罪し、何とか離婚を考え直してほしい、と伝えてその日は話し合いが終わったのです。その日はショックと不安から、ほとんど寝られませんでした。
感情を定期的にぶつけてくる妻
離婚を求められた後も、妻は基本的に以前と変わらぬ対応でした。私は妻から指摘された自分の未熟な点を、改めるように心がけた日々を続けたのです。
しかし息子が寝ると、妻は負の感情を私へぶつけてくる日が定期的にありました。私は「こんな男と離婚したくなるのは当然。すべて僕が悪い」と妻を肯定し、妻の話にじっと耳を傾け続けました。
「僕は変わるから、もう一度チャンスがほしい」伝え続けたのです。私の問いに対して、妻からは「今まで本当に精神的にきつかった。だから簡単に考え直せない」と態度を変えませんでした。
外泊が増える妻
離婚を求められてから半月経った頃、妻は遊びに行っていた同僚の家に泊っていいかとの連絡が入りました。妻が息子を僕だけに任せて、外泊したいと求めてきたのは初めてのことです。
妻から自分の行動を制限されてきたと言われていたので、当然ながらOKを出しました。内心は、このまま妻は帰ってこなくなるでは? という不安が頭によぎりましたがかき消しました。
妻が職場の同僚の家に泊ってからを機に、実家や妻の妹のところに週1回のペースで外泊をしだしたのです。
息子には「おばあちゃんが体調を崩して大変だから、ママが助けに行っている」と伝えました。息子はママっ子なので、妻が夜に家がいない日が増えたことに、明らかに不安そうな表情していたのです。
義母が体調を崩しているのは確かでしたが、妻はあえて外泊する日を増やしているのを私はわかっていました。私のせいで息子に辛い想いをさせていることに、心が張り裂けそうでした。
でもどうしていいかわからず、私の悪いところを改める姿を見てもらう以外ないと思い、自分を律する日々を送ったのです。
何をしても妻の心が開けない
妻は休日で家にいるときも、午前10時頃に家を出て夕方に帰ってくる生活をしていました。別々の部屋で過ごしていても、私がいると精神的にキツイという理由からです。聞かされたときはショックでした。
妻から「私にも不満はあるでしょ?」とよく聞かれましたが、「すべては自分が悪い」と答え続けたし、本気でそう思っていました。
私の答えに対して妻は「あなたが無理しているのを見るのが辛い」との返答。私は何を伝えればいいかわからず、絶望感と自責の念に強く苛まれたのです。
何をしても妻の心は開かず、途方に暮れていました。
正月に実家へ一緒に帰省してくれたが…
家族は盆と正月になる私の実家に必ず帰っていました。12月の初旬に妻から、今年は29日から実家に行こうかと言ってくれたのを聞いて、少し安心したのです。
実際に、正月は実家で過ごせました。新しい年になったから、妻も前向きに、離婚を考え直しているのかも? と希望が僅かにもてました。しかし現実は大きく違ったのです。
妻の態度がますます硬化し始める
元旦以降、妻は実家や妹の家へ泊りに行くペースが短くなりました。また妻は息子の前でも「ママはこの家を出ていくの」と冗談っぽく言い始め、ひどく落ち込むようになったのです。
妻は「あなたと一緒にいるのがツライ。本当に離れたい」と悲痛な顔で言ってきました。私はこのままでは妻との関係修復はままならないし、息子をこれ以上は不安にさせられないと感じました。
別居すれば離婚につながる可能性が高まる現実を知っていましたが、今は妻の気持ちに寄り添う他ないと思い決断。私から1ヶ月ほど家を出る旨を妻に伝えたのです。
妻の本音が見えた
別居の申し出を聞いた妻は、今まで私に伝えてなかった不満を伝えてきました。僕の収入が大きく下がったときの対応が、妻のなかで許せなかったのです。
私が4年ほど前に収入が大きく下がる年が2年ほど続きました。フリーランス業で保険はないため、貯金を切り崩したくない、と思い、節制した生活を過ごすようになったのです。
例えば、以前は家族でよく行っていた映画や遊園地なども、出費を抑えるために妻と息子だけで行ってもらいました。その間の私は収入を戻すべく仕事をしていました。
節制するのは私だけで、妻の小遣いはそのままだし、職場の臨時ボーナス的なお金もすべて彼女が使っていいいと言いました。だから妻にはこづかい的なお金は削っていないから大丈夫と思っていました。
しかし妻にすれば、休日にいつも家族と一緒に行動しない私へ不満が溜まったのです。
妻を支えられてなかった
この頃の妻は職場の人間関係などに悩み、常にやめたいという言っていました。私は自分の収入が大きく落ちていることもあり、「やめればいいよ」という言葉を掛けられませんでした。
守るべき妻が苦しんでいるときに、支える言葉を何ひとつ掛けられない私は、本当に最低な男だと思いました。
妻はこの精神的にキツイ時期も必死に働いてきたけど、私に外食費は月3万円など勝手なルールをたくさん決められた。それが辛かったと伝えてきたのです。
他にも収入が大きく減ったのに、必死さが見えない私に不信感もでたとも言われました。
確かに、私が妻の意見を聞かずに家庭のルールを決めていて、妻はそれに対して意見などを言っていました。しかし私は妻の言葉を流してきたのです。私の身勝手な対応が妻を冷めさせました。
私の都合を妻に押し付けていた
私の収入も大きく落ちこむ前の7割ほどに回復。しかしフリーランスは波があるため節制は必要だと感じ、生活のスタイルは崩しませんでした。
妻はそんな私に「この人は家族じゃなく自分のことしか考えていない。そんな夫は要らない」と思い、離婚を決意したのです。
私なりに妻とはコミュニケーションをしっかりとれていると思っていました。でも結局は私の都合を妻へ押し付けていたのだと、再度思い知られました。
でも私は妻のことを心から愛しているから、家族3人で暮らす生活を諦められませんでした。
私は妻に対して「あなたの夫でいられるチャンスをもう一度だけください、と僕はお願いするしかないです。」
「別居中は今までの自分を深く見つめ直し、夫、父として何をすべきかをしっかり考えます。」と伝えました。
妻は、「あなたと離れてみれば、私の気持ちが変わるかもしれない。でもそうでないときは受け入れてよ」と言ってきたのです。私は「うん」とは答えられず、ただ妻の顔を見て黙っていました。
妻との別居生活が始まった
別居する2日前に息子にありのままを伝えました。「〇〇(息子)も大事な家族の一員なのに、勝手に決めてゴメンな。またママと〇〇と3人で暮らせるように頑張るから」と伝えました。
息子に別居することを伝えるのは本当にキツかったです。息子にすれば一時とはいえ、家族の構造が崩れるだからショックだったのに違いはありません。でも息子は「うん」と取り乱さず聞いてくれました。
別居する当日の出来事
別居先は何かあればすぐに対応できるように、家から自転車で5分ほど離れたマンスリーマンションを借りました。
別居する当日、私は荷物を家から別居先へ自転車で何度か運びました。最後の荷物を運びだす前に、「じゃあ行くわ」と言ったとき、妻は「晩御飯を食べていきなよ」と言ってくれたのです。断る理由はありません。
晩御飯を食べ終わって出て行こうとしたときに、息子から「パパ今日は泊まらないの?」と聞いてきました。妻は息子が泊ってほしいと言っているから、泊ってあげてとのこと。嬉しかったです。
妻の温もりを久しぶりに感じた
私が晩御飯のあと片づけをしたり、食器を洗ったりしているとき、妻は私の背中に抱き着いてくれました。私は何とも言えない感情になり「ありがとう」だけ伝えました。
息子が久しぶりに3人同じ部屋で寝たいと言いだし、妻も了承したので3人が同じ部屋で寝ることになりました。寝始めたとき妻が布団のなかで私の手を暖かいと言って握ってくれたのです。
妻が私に対して情が残っているのか、未練を断ち切ろうとしているのかわかりませんでしたが、私も妻の手を強く握り返しました。
別居後も定期的に連絡をとりあう
別居から3日が経った頃「残業で遅くなるから、可能なら息子の面倒を見てくれる? 頼むのは違うかもだけど」とLINEがきたのです。
私は「残業とかの出来事を想定して近くに住んでいるのだからOK。遠慮なく言ってね」と返答。実際に妻の残業などがきっかけで家に帰ることが4回ありました。
妻が家へ帰ってきて、入れ替えで私が出ていくときは、彼女は少し悲しそうな表情に見えました。
後ろ向きにはならなかった
離婚を求められて以降は、妻から電話が掛かってくることは滅多にありませんでした。しかし別居してからは2~3日に一回は電話がくるようになったのです。
また「おかず作ったのをタッパに入れているから、近くを通りかかったなら持って帰っていいよ」との連絡もよくありました。妻は私を受け入れ始めている? と嬉しくなりました。
「ありがとう! 嬉しいよ」と返答すると、「でも元に戻るという意味でしてないから」と、突き放すメッセージが届きました。
やっぱりダメなのかと心が沈みましたが、最後まで諦めずにやり抜こう、と気持ちを切り替えました。
できる限りのことを行った
別居中は仕事以外の時間は、妻に離婚を考え直してもらうための取り組みをしました。
まずは妻に対する「誓約書」を作成したのです。
誓約書とは
夫婦関係における誓約書は、夫婦間で互いに、または一方が守るべき約束事を明記した文書であり、一方が他方に差し出します。誓約書には浮気など禁止行為、その他自身が改めるべき点などを載せるのが通常です。
本来は妻と一緒に作るべき書類ですが、それができないため自分だけで作成しました。妻に指摘された私の問題点を改める、これからはしっかりとコミュニケーションをとっていく、などの内容にしました。
妻への手紙を再び書いた
妻に離婚を求められて以降、2度目の手紙を書きました。「私が生きていくには妻が必要である」、「これからは妻をしっかり支える男になる」など、妻へ真摯な想いを飾らず伝えました。
義両親のもとへ直接謝罪にいった
義両親に対しても手紙を送っていましたが、直接会っての謝罪はまだだったため、妻の実家に出向きました。
「私が不甲斐ないばかりに娘さん(妻)を傷つけてしまい、本当に申し訳ございません」と義両親へ頭を深々と下げ謝罪をしました。
これからは娘さんをしっかり支え、幸せにするので応援してもらえるようにお願いをしたのです。
義両親は、ひかる君(私)が反省しているのはよくわかった。娘にはもう一度考えるように伝えておくよ。と言ってくれました。
私の母にも手紙を書いてもらった
妻と離婚危機であることは、私の両親には伝えていませんでした。余計な心配を掛けさせたくないし、自分の情けなさを伝えるのが嫌だったからです。
でも後悔をしたくなかった私は両親にすべてを伝えた上で、母から妻へ手紙を書いてほしいとお願いしました。
息子が苦労かけて本当に申し訳なかった。〇〇さん(妻)は何ひとつも悪くない。息子がすべて悪いです。
本人も猛省しているのでもう一度だけチャンスを与えてあげてほしい、という内容を母なりの言葉で書いてもらいました。
別居が終わった後の妻の答え
1ヶ月の別居が終わり私は家に戻りました。
妻からは「あなたが心から反省しているのは伝わった。でも許しきれない気持ちもあるし消化しきれない部分もある。でももう一度だけ信じてみたいから離婚は保留するね。今度こそ私をしっかり支えてね」
妻はそう言って私を優しく抱きしめてくれました。妻の心が久しぶりに私の元に戻った瞬間でした。
私は「ありがとう。もう二度と悲しませないからね」と伝えました。妻は「本当だよ」と言って、笑顔を久しぶりに見せてくれたのです。諦めずに本当によかったと思いました。
同居を再開してからは離婚前と完全に一緒とはいきませんが、焦らずに妻との関係を修復させる日々です。
妻に対する思いやりを忘れてはいけない
夫婦はお互いを思いやり慈しみ合う努力をしなければ、夫婦関係はたちまちに崩壊へつながることを、今回思い知らされました。
今あなたは奥さんとの離婚危機に瀕している状態でしょうが希望はあります。あなたが知らぬ間に傷つけた奥さんの心に正しく寄り添い続け、関係修復を諦めなければ、いつか奥さんの心はきっと戻りますよ。
仮に離婚となったとしても
過去の自分の過ちをどれだけ猛省し考えや行動を改めても、妻の決意は変わらず離婚となる場合もあるでしょう。それでも妻や子ども達との生活を取り戻したいなら、諦めないことです。
やるべきことは妻や子どもとの縁を繋ぎ続けることです。縁さえ繋ぎ続ければ、いつかはあなたが本当に悔いを改めて、変わったのだと妻が受けとめる日がくるかもしれません。
縁を繋ぎとめるには、養育費を払い続けるとかは当然のことですし、そもそも義務です。
やるべきことは妻や子どもが、少しでも喜んでもらえるかも? 助けになるかも? と思えることを続けることです。
妻の反応がまったくなくても、やり続ける姿勢が求められます。離婚しても復縁する夫婦は実際にいます。諦めれば復縁の可能性は絶たれます。縁を繋げることを諦めないでください。
自分の考えや感情だけでは動くのは絶対にNG
今この記事を見ているあなたは、奥さんとの離婚危機に瀕している状態でしょう。最後に大事なことをお伝えします。
あなたが奥さんとの離婚を回避させて関係を修復したいのなら、自分の考えや、その場の感情だけで動いては絶対にいけません。
自分がどれだけ正しいと思っても、その言動は間違っている可能性が十分あります。結果、妻の心をさらに遠ざけて離婚を確定させてしまいます。
今までの妻へのコミュニケーションに関する思考が、間違っていたからこそ離婚を求められているのです。ですので、自分の考えや感情だけで行動するのは絶対にNGなのです。
取り返しのつかない事態にならないためにも、妻との離婚回避に関する正しい情報を知った上で行動してください。それでは、あなたと奥さんの関係が修復できるように願っています。
妻との離婚を回避させる最善の方法
妻から離婚を求められているあなたは、次のような悩みや考えがあるのではないでしょうか。
- 妻とは絶対に離婚はしたくない
- 何をしても妻は許してくれない
- どうすれば離婚を考え直しくれるかわからない
- 調停になったが、それでも離婚を回避したい
- 離婚を回避するための確かな方法が知りたい
私も妻から離婚を求められましたが、何をすればいいかわらず絶望の淵にいました。そんなとき妻との離婚を回避するために、最善だと信じられる方法を知れたことで、今も夫婦を続けられています。
あなたが妻との離婚回避に関して悩んでいるのなら、私が取り入れた離婚回避の方法は、きっと参考になると思います。詳しくは下のリンクから確認ください。